毎月大量に出版される日本のポルノ小説について。 表現が手垢にまみれていて、どれを読んでも同じ、と思ったことはありませんか? 俺はいつも感じています。
「息を呑むような美形」だの、「被虐的な肉欲」だの、ありきたりの表現。 あろうことか「あはん」だの「んぅ……ふぅ~んぇ」だのといったオノマトペの連続。 原稿用紙のマス目を埋めるために、いたずらに字数を稼いでいるようにしか思えません。 こんな表現で読者の官能を刺激できるとでも思っているのでしょうか。不遜です。 なぜ、このような稚拙な作品がまかり通るのでしょうか。 それは書き手が表現についての訓練を経ていないからだと考えています。 スケベな妄想は人並みにあって、ポルノ小説をよく読んでいた、この程度なら自分にも書けそうだと思って書いてみた、という人が書いているのです。 さらに、それを読んだ人が、「この程度でいいんだ」と思って書いてみる、その縮小再生産が続いているのです。 かといって、中間小説と呼ばれるような、表現にこだわる人(文芸書の書き手として通用する作家)が書いたポルノ小説は妄想がこぢんまりとまとまってしまって、濡れ場が多いだけの安っぽい恋愛小説になりがちです。 俺はその間を埋める表現を追究しています。 たとえば、こんな表現。 「野いちごを連想させる赤い乳首は小さく、何かのボタンのように突き出ていた。僕に触られることを求めているような、一切を拒絶するような、どうにも判断がつかない風情で存在を示していた。桃子の身体からさえ孤立して、……」
テーマ:ポルノ小説の表現 - ジャンル:小説・文学
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